進む針路に異常なし

替えの効く歯車としての役割を終え、心許ない笹舟に乗り航海に出てみました。舵を切ったこの針路に未だ異常なし

あがり症

こんにちは、こんばんは。

まるまるです。

 

さて。自分はあがり症でした。「でした」ということは、今は上がらないのか?と言うと、まぁだいぶ緩和されたと言う感じ。以前は人前で話すのが非常に苦手で、そういったイベントがあると、しばらく前から頭から離れなくなり、絶句したらどうしよう、逃げる手はないのか?と胸が苦しくなり、心が疲れた。

トラウマがあった。

小学校高学年のとき、なぜか地域の子供会の会長に選ばれた、特段やることはなく、夏休みのラジオ体操の解散時に、子供たちが首から下げた「ラジオ体操出席カード」にハンコを押すぐらいだった。ある日、他の子供会と合流し親睦を深めるという、遠足のようなイベントがあった。その時のことが今も忘れられない。絶句したのだ。それぞれの子供会のメンバーと親が一堂に会し、会長が自分の属する子供会を簡単に紹介するという場面である。要は序段の序である。ここは会長の見せ場である、気になる女の子もいた笑。相手は参加した人数や、最近行った活動など少し笑いも取りながら話し終えた。さていよいよ自分の番である。人数だけは何とか言えた、その後頭が真っ白になり、何も言葉が浮かんで来なかったのだ。大人のフォローも無く、およそ1〜2分は立ち尽くしたと思う。ゲームでピヨピヨ〜と、くるくる頭の周りを回る「xxは混乱している」的な、頭がグラグラしていた笑。やっと「あがっちゃったねー」と大人の介入が入り、終わった笑。俯いて席に戻った...最悪だった。

後から母親に、「先に言っとけば良かったね」と、いや知ってたんかい!と笑。お前のせいじゃーと子供心に思ったな。その48年も前の話が、未だに恐怖と共に思い出されるのである。トラウマって怖いね〜。

だけど、なぜあがるのか。論理的に自分のことを考えてみた。当時の自分は人からの評価や周りの目がとても気になり、人から好かれることが最終目的になっていた。つまり自分を持ち、貫くと言う信念が無いのだった。「周りからどう思われているんだろう……」と常に他人の目を気にし過ぎ、それに合う人物像を想像しそれを演じなくちゃと、だけど失敗したら...の恐怖がもりもり出て来て心が疲れ、苦手意識として増幅されていたのだ

あれ? 人から好かれようが嫌われようがどっちでも良くね?それよりも本当の自分を知ってもらった方がこの先楽じゃね?って、ふと思えたんだよね。

晴れて来た

そう思ったら途端に心が自由になった気がした。

その時はちょうど、人を管理する立場になった頃(30歳中頃ぐらい、も少し後かも)で、それからは自由な心で人前で生意気な話も出来るようになった。

一昨年は一切の準備もせず、息子の結婚式で御礼のスピーチもした(まぁいい歳だから誰でも喋れるんだろうけど笑)。前々に考えた言葉は死んだ語句の連なりのような気がして、新鮮な心からの言葉で喋りたかったからだ。短かったけど思いは伝えられた気がする。

 

でも、ふと絶句した時のこと思い出して、ドキッとするんだよね笑。こわっ笑。